2D人間
月曜日, 2月 6th, 2017建築家いわく、僕は空間や立体物を「平面」に置き換えることに興奮を覚える2D人間で、今の仕事は天職らしい。
たしかに料理の盛りつけが自分でびっくりするくらい下手だ。
建築家いわく、僕は空間や立体物を「平面」に置き換えることに興奮を覚える2D人間で、今の仕事は天職らしい。
たしかに料理の盛りつけが自分でびっくりするくらい下手だ。
2016年2月25日。
まさか、一生のうちで、
一度でも登壇することはないだろうとおもっていた
カメラのお祭り「CP+」の富士フイルムブースで、
FUJIFILM SQUARE 企画写真展 「野口 健×藤巻 亮太 100万歩写真展」のスピンオフも兼ねて、
野口健さんとまさかのトークショー!をさせていただきました。
その名も
『Xと旅をする』
CP+開幕。
お仕事をご一緒させていただいた先生方もトークで大忙し。
本当にいい経験をさせていただきました。
紹介仕切れなかったみなさまごめんなさい。
富士フイルムのみなさま、関係者のみなさま、トークを聞きに来てくれたみなさま、本当にどうもありがとうございました。
CP+は28日まで。横浜に散歩がてら遊びに行ってくださいませ。
ちなみに、僕が出した旅写真はこれでした〜!
でした。小原玲さんがほめてくれたので、うれしい夜。
12月17日、椙山女学園大学に呼んでいただき
特別授業「装う物語 装丁という仕事」の講義をさせていただきました。
記事はこちらから。
とても多くの生徒さんたちにご参加いただき、
驚いたのは、「興味がある」というよりは
「実際、装丁家やグラフィックデザイナーになりたい」生徒さんが多く、
独立する過程や、現場についての質問、裏話など、
こちらもマニアック全力でお応えさせていただきました。
講義後に一部の生徒さんたちとお食事にいきました。
仕事をして一番印象的だった言葉を聞かれ、
鷹匠の松原英俊がおっしゃっていた、
「狂気にも似た一途な想いを胸に抱いて生きろ」と答えました。
彼女達の未来もこの一言だとおもいます。
また呼んでいただけるように精進いたします。
ありがとうございました。
こんなにかっこいいフライヤーを生徒さん達が作って迎えてくれました。涙・・
桜から始めたっていいじゃん。日本人なんだから。
森々
深々
閑を得る
niwanoniwaは2009年12月7日に
名古屋にある椙山女学園大学で
デザインと出版について、講義させていただきました。
題名は「廻り道ノススメ」
◉目先の就職活動や会社に入ることがすべてではない。
◉日常のあらゆることにアンテナをはって、受信する。
◉ネットやメールが飛び交う中で
面と向かって、人に会い、話すことがいかに大切であるか。
◉今後の社会に必要で不足することは、コミュニケーション能力である。
◉とにかく、旅をして、遊べ。
◉アナログな回り道こそ「仕事」だ!
ということを就職最前線の大学生達に伝えてきました。
当日は、大学生だけではなく、
教授の方々にも多数お越しいただき、とても感謝しております。
途中で開高健さんの出版人マグナカルタ九章を
題材にさせていただきました。
本当にすべてが凝縮された九章だと改めて実感しました。
時間内に、簡潔にシンプルに相手に伝えることが、
いかに難しいかをヒシヒシと感じました。
また、スライドの下準備の作業工程において
自分たちがしてきたことや、これからするべきことを見えてきて
今年一年を振り返る上で、とても有意義で貴重な時間となりました。
私達を呼んでいただいた椙山女学園大学 堀田あけみ準教授をはじめ
椙山女学園大学のみなさま
ありがとうございました。
もっと遠く! もっと広く! の
中吊り広告が凄かった。
1983年11月のことである。
当時はこんなエネルギーがぴゅんぴゅん溢れていた。
2009年、ほとんどのエディトリアルデザインは
完成図が画面で視認できる。
視覚で仕事をしている気がしてくる。
デザイナ−も、出版社も、編集者も、著者までもが
すぐ修正できると思ってるし、実際にできてしまう。
水族館の魚のように、緊張感が格段に薄い。
最近までだ。
「見えない」作業に、赤い血が通っていた。
真っ黒なカーテンの向こう側を透視するように
脳内でガツガツ写真と文字を組み立てて、
紙に線を引く、その上に赤字で指定を書く、
ポジはダーマトで、タイトルは暗室で紙焼きに…
それでもまだ完成図は確認できない。
関わる全員が共通意識を背負って、
「ひとつ」を脳で作り上げる。
印刷所から初校が来て、初めて我が子と対峙する。
一発勝負の緊迫とキラメキと喜びのエネルギーが
全員のそこには存在していた。
視覚は、入り口でしかない。
脳みそを越えるツールなんてない。
便利になった分だけ、使い倒せ。
便利になった分だけ、面倒くさく。
便利になった分だけ、振りまわせ。
そして、俺が生きた記憶を
ここに標そう。
もっと遠く! もっと広く!
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11/6、30歳最後の夜に、
渋谷にniwaメンバーで
ドキュメンタリー「へんりっく 寺山修司の弟」を観に行った。
並んでもらった整理券は「30」と「31」
その1時間後、31歳になった。
さて、この1年が
人生でどんなに深い深い1年だったか孫に語れるように
悠々として急ぎましょうか、開高さん。